北広島市島松は、明治10年、クラーク博士が札幌農学校の学生に“Boys, be ambitious.”の言葉を残して別れた地です。平成28年4月、クラーク博士の偉業をたたえようと馬上のクラークのモニュメント建立を目指す「クラーク会」が発足し、普及宣伝のための講演会などを行ってきました。そして、クラーク博士別れの地が寒地稲作の祖中山久蔵が赤毛米を栽培した地でもあることから、この会の目的に「久蔵の里普及促進事業」を加えて、NPO法人「クラーク博士別れの地・久蔵の里普及促進会」としてクラーク像建立のための活動を行っていきます。
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マイタウンニュース『赤毛米の給食』(2017.12)
【広報北広島 平成30年1月1日号掲載】2017年12月6日(水)
毎年、西部小学校の4年生は駅逓所横の赤毛米の田んぼで、田植えと稲刈りをしています。
この日、給食に赤毛米のご飯がでました。自分たちで育てた赤毛米、どんな味がするのかな。
マイタウンニュース『クラークフェスタ140』(2017.10)
【広報北広島 平成29年11月1日号掲載】2017年10月1日(日)
北広島市島松の島松駅逓所そばで、クラーク博士が”Boys, be ambitious”の言葉を残してから140年目を記念して「クラークフェスタ140」が開催されました。野外劇「島松駅頭・出会いと別れ」の上演を中心に、音楽などのステージもあり、多いに盛り上がりました。
北広島地名あれこれ⑥『東部地区って?』(2017.5)
北広島市内の地名の由来を探るシリーズ。最終回となる第6回目は、東部地区へ。北広島市役所のあるたりの地名”中央”は、和田郁次郎をはじめ最初の移住者たちの住居があった場所で、北広島の原点だということでつけられたと考えられます。そのほか、東部地区の各地を訪れ、地名の由来を探っていきます。
北広島地名あれこれ⑤『北広島団地って?』(2016.12)
北広島市内の地名の由来を探るシリーズ。第5回目は、北広島団地へ。北広島団地は14の町に分かれています。北広島団地内のトリムコースを歩きながら、北広島団地内の主な町名の由来を紹介していきます。