きたひろ再発見~クラーク博士との別れの地-島松(2016.1)


北広島市のカントリーサインはクラーク博士です。それは、クラーク博士が帰国の際見送った学生たちと別れたのが北広島の島松であり、このとき「青年よ大志をいだけ!(Boys, be ambitious!)」の名言を残したからです。しかし、このことはあまり知られていません。そのような中、北広島がクラーク博士との別れの地であることをもっと広く知らせていきたい、と市民有志が呼びかけた記念講演が、2015年11月に開催されました。

きたひろ再発見~旧千歳線・エルフィンロード(2015.9)


~森林を縁取る鉄路の跡 エルフィンロードで蘇る~
旧千歳線は、大正15年に敷設され昭和48年に廃止されるまで、札幌と苫小牧方面を結ぶ旅客貨物の移動手段として欠かせないものでした。旧千歳線廃線後、跡地は自転車道路エルフィンロードに生まれ変わりました。JR北広島駅から札幌市との境界まで全長8.1Km、エルフィンロードは、緑豊かな森の中を現在の千歳線に寄り添うように続いています。

きたひろ再発見~昔話は語り継がれて・行幸橋(2015.8)


国道274号線の共栄、広島工業団地付近に「行幸橋」というバス停があります。このバス停近くを流れる裏の沢川に、昔、一本の木の橋がかかっていました。「行幸橋」という名前には、この橋にまつわる悲しい昔話が隠されていたのです。

続・三島神社 御神体を探そう!(2015.7)


第1作「三島神社跡地」を放送してから1年半。今般、「続・三島神社 御神体を探そう!」と題して第2作を制作、取材しました。
そこに見て取れたものとは・・・
開拓民として入植され苦労を重ねた先人たちの心の支えとなっていた地域に根ざした神社がありました。

取材を行った方々です。
大正4年、三島地区(北広島市)に一社(三別神社のちに三島神社)を興した蔵谷石太郎(初代)から3代目(故)邦繁氏弟、蔵谷繁則さん(79歳)
三島地区に長くお住まいで三島神社に詳しい宮村盛治さん(83歳)
仁井別神社氏子代表の若本幹夫さんに貴重なお話を伺いました。
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きたひろ再発見~現代に生かされた島松軟石(2015.6)


「きたひろ再発見」シリーズ。今回は、「島松軟石」をとりあげました。
北広島市芸術文化ホール(花ホール)の壁面を飾る石材。これは、花ホールが建てられる前にこの地にあった軟石造りの「廣嶋農業倉庫」に使われていた物です。軟石の採掘は、島松の地で大正時代以前から行われ、住宅・納屋・倉庫などに使用されてきましたが、安価なブロック材の登場とともに、昭和37年ころを最後に採掘は行われなくなりました。
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